Amoako Boafo の展示が良すぎた。
こんにちは、あんなです。
私のことをフォローしてくださっている方の中には、私の趣味の一つが美術館巡りであると知ってくださっている方もいらっしゃるかと思います。
先日出張でヒューストンを訪れた際も、例外無く行ってまいりました。
訪れたのは Contemporary Arts Museum Houston.
そして今回開催されていた展示のうちの一つが、Amoako Boafo の "Soul of Black Folks"でした。事前知識全くなく、「美術館に行きたい」という趣旨で訪れたのですが、その場で今年見た中でもトップに入る展示に出会うことができました。
アモアコ・ボアフォ。
ガーナ出身のアーティスト。1984年生まれ。
自画像を含む黒人の肖像画がメインの作風で活力溢れる色使いと、指を使って絵具を塗るストロークが特徴的なアーティストです。
Soul of Black Folks, W.E.B. Du Bois.
本展示のタイトルはW.E.B. Du Bois(デュボイス)の研究タイトルから取られたもので、デュボイスは"Double Consciousness" (二重意識)という概念の生みの親でもあります。
つまり黒人はアメリカ人であると同時に黒人である。これは自身のアイデンティティとしてもそうですが、他者(白人)の目線から自身を見ることを強いられる、という意味でもあります。
"Double Consciousness" is "sense of always looking at oneself through the eyes of others."
デュボイスの研究については今回深く触れませんが、この二重意識がまさにボアフォの展示のテーマになっています。
「他者」として見られる黒人コミュニティへの視線、黒人としての主観性。更にはコロナ禍での黒人としての経験、制度的人種差別、反黒人運動に対するアクティビズム、メディアにより商品化される黒人の身体、ファッション。ボアフォはこれらをテーマに今回の展示に挑みました。
さらに、デュボイスの墓はボアフォが育ったガーナ、アクラ市オス地区にあることからも、二人の関係性が鮮やかになってきます。
加えて、美術史において誰が描かれてきたか、というのも大きなテーマです。ボアフォが主に肖像画を描くのは、美術館の中に黒人が描かれる作品の少なさに対するコメンタールでもあります。特に、「エキゾチック」な存在として白人アーティストに「研究」されているものを除くと、その数はさらに限られます。彼の作品は、Blacknessへのセレブレーションでもあるのです。
展示
さて、前置きが長くなってしまいましたが、30点以上あった作品の中から、特に私が好きだったものをお見せしたいです。
黒人の女性たちが笑顔で展示を見ているのがとても印象てきでした。Representationの大切さを改めて。(撮影許可有)
こちらはBeyonceとJay-Zが撮ったTiffanyのキャンペーンをモデルにしていますね。
自画像
CAMHの壁に直接塗ったミューラル。自画像です。
初期の自画像。以下特筆する、指のストロークの作風がまだ未発達です。
これらの自画像は両方とも手に本を持っています。
上の作品でもたれているのは、タイエ・セラシの『ガーナ・マスト・ゴー』。
セラシのデビュー作の小説で、ガーナ人家族が父親の死を乗り越えていく様子を書いています。
下の作品で持っているのは、マルティニーク島出身の精神科医フランツ・ファノン著、『黒い皮膚、白い仮面』です。植民地出身のアフリカ人が、移民先のヨーロッパで出会う人種差別と、それによる精神的な影響について書かれた本です。周りから疎外されることによって、自身も内心で己を否定するようになる、という、ここでもある種の二重構造 (duality, dichotomy)について書かれています。
最後に、ボアフォの特徴的な指を使ったストロークについて言及したいです。彼はモデルの肌の色に特徴的な青色を混ぜていますが、これはRoyalty(王族)を示す色だそうです。
ボアフォは背景こそ筆を使いますが、作品の中の人物は指で描くそうです。筆を介さず、直接絵に触れることで、独特な人間味を生み出せるのかもしれません。この蠢く肌。黒人の肌の下には、これまで語りきれない歴史があり、それを今も生き続けているということが表されているようです。
日本でもいつかボアフォが見れる日が来るといいな、と思いました。
BLM運動の影響で、ブラックアーティストが大きな美術館でキュレートされる機会が一気に増えました。D.C.はナショナル・ギャラリーで特別展示が組まれるのも、歴史的なイベントです。→【ナショナル・ギャラリー】#AfroAtlanticHistories
それと同時に、これまでどれだけ芸術界が白人中心的だったかというのを思い知らされます。
理論上では知っていたものの、こうして美術館で白人じゃない肌質を見るというのは、とても開放的で、癒しがあります。
ユーロセントリックなアート界が少しずつ変化しているのを感じました。
とても良い兆し。
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