無知の暴力性と粗暴な善意:オコエ桃仁花選手のツイートを受けて。
こんにちは、あんなです。
(以下の内容は人種差別的な発言に対する言及ですので、トリガー注意です。)
先日、バスケットボール選手のオコエ桃仁花さんが、彼女に向けられた差別的なDMの一つをツイッター上で公開しました。その内容は、「黒人の癖にまじできもいね」「なにがあったらアフリカの黒人と結婚する日本人女性がいるのか理解できない」という、明らかな人種差別的なもので、そのツイートにオコエ選手は「もう心が麻痺するくらい、慣れたよ。」という言葉を添えています。
このツイートの内容には重要なポイントが2点あります。
① このDMはオコエ選手に対する個人的な悪口ではなく、人種差別発言であること。
②オコエ選手はこのような差別的な扱いを、慣れてしまうほど経験しているということ。
しかし、このツイートに送られたリプライや引用リツイートは、その2点をあまりにも理解していない、暴力的な善意が向けられたものばかりで、またもや日本の人権教育の失敗を目の当たりにしました。といっても、その失敗はマイノリティとして毎日嫌でも感じさせられることであり、オコエ選手もその例外ではありません。
同様に先日、藤田ニコルさんがオンライン上でセクシャルハラスメントに遭った際、それを指摘し怒りを表す彼女のツイートにもなんとも言えない「善意」リプライを送ってらっしゃる方が溢れていました。
この二つの出来事を目の当たりにし、改めてこの暴力的な善意について文章を書こうと思い、筆を取った次第です。(今回はオコエ選手のツイートをもとに書かせていただきます。)
これを読んだ方が、今後もし当事者が何かに声をあげた際に、不適切なリプライを送らずに済むように、文章にまとめます。
人種差別として認識できない
では、オコエ選手のツイートの論点に戻ります。
① このDMはオコエ選手に対する個人的な悪口ではなく、人種差別発言であること。
そもそも、この1点目を理解できていないのが問題のベースにあるのではないかと思います。
リプライを読む限り、「人種差別」「差別」といった言葉で加害者を指摘するアカウントは少なく、オコエ選手個人のキャラクターを擁護するようなリプライが散見されました。つまり、当該DMが差別的な言動なのではなく、オコエ選手への「悪口」だと思っている人が多いのです。
モニカは今のままで十分かっこいいよ😊
特に、外見の話は全くしていないのに、「美しい」や「可愛い」などとコメントを残す人もいて、人種差別と性差別の交差が炙り出されています。
「気にするな」の暴力性
②の点。彼女はこれまで数えきれないほど多く、似たような経験をしているのでしょう。「慣れてしまった」という言葉からもそれを読み取れます。それなのに、「気にしないで!」とその言葉をかき消すようなリプライをしている人がたくさんいました。最も多いリアクションがこの「気にするな」系だと思います。
モニカは今のままで十分かっこいいよ😊
あなたのファンであなたのバスケットが好きな人は沢山います。
いつも応援していますのでこんな声気にしないで!
当事者が差別に対して声をあげることは、相当な体力と決心が必要です。
これを言って、また二次加害にあったらどうしよう、とどうしても身構えてしまう。
後述するように、(善意であっても)ありえないコメントも実際ありました。
けれどもこうして彼女はこの件について公に発信した。しかも「慣れてしまった」と付け加えることでその常習性にも提言しています。
それなのに、かけられる言葉が「気にするな」だった。
彼女のように公の場に出ている人間ではないので同規模ではないにしろ、私の場合、自分の差別経験を話した際に「気にしない方がいいよ」などと言われると、全身が脱力するようななんとも言えない感覚に襲われます。
人種差別は個々人の問題ではなく、社会が作り上げた者。日々様々な人種に対する差別的な言動が蔓延しており、日本ではanti-blacknessが顕著です。
世界的なムーブメントとなり、日本でも開催されたBLM運動に対する冷笑的なリアクションからもそれが読み取れますし、最近ですと映画などのキャラクターに黒人の俳優さんが起用されることに対してバッシングが起こることなども、これを表しています。「リスペクト」の名のもと、文化の盗用やブラックフェイスが未だに問題視されないのも、日本全体として「差別」に関する知識が乏しいことに所以します。「日本には人種差別は存在しない」と真顔で言えてしまう人がいるのだから。
気にしなくて済むなら気にしていません。「心が麻痺」するくらいに、繰り返し起こるその現象を「気にするな」で片づけられることの暴力性が、わかりませんか?
当人が傷つき、声を上げていることに対して、「気にするな」と言うことは、まさに暴力的な善意です。
カラーブラインドネス
次にあったリプライの例として、カラーブラインドなものがありました。
カラーブラインドネス:人種的な差異を認識しない考え。
カラーブラインドな考えは一見聞こえがいいです。人類皆兄弟。肌を切ったら流れる血はみんな同じ赤。けれど、これを非当事者が唱えることは、人種差別の存在を否定することにもなります。「人種が存在しない」状態では「人種差別」は起こり得ないからです。
もちろん、「人種」という概念は人間が作り上げたもので、科学的根拠はなく、白人至上主義的な歴史の中作られたカテゴリーが今もまだ使われているという状態です。そういった意味で「人種的差異は存在しない」と言えばそうなのですが、今回のようにまさに人種差別を指摘する文脈においてカラーブラインドなスタンスをとることは、人種差別という目の前の課題から目線を遠ざける有害な言動です。
これに付随して、人種差別を過去のものとするような発言もありました。
まさに「見えない」特権が現れています。
事実、オコエ選手は「肌の色」や彼女の「ルーツ」をもとに差別を受けているわけで、それに対して「肌の色なんて関係ないよ!」ということの不毛さがわかるでしょうか。問題を無効化するだけの発言です。今、差別を受けているのに「まだ差別って存在するんだ!」と言うのも同じです。
エキゾチシズム
上記の例以外に、エキゾチズム的な発言も見られました。
(特に日焼けがあるか分かりませんが目立たないからとか)
今回のツイートに対して「私は黒人の肌が好き!」というのはエキゾチズム的な発言です。
エキゾチズムの目が向けられるのは、「自分とは異なる」ものに対してです。ある種のフェチ化であり、彼女を特定のグループに分類する行為でもあります。(アイデンティティの外付け)
人種差別の文脈で、このフェチスティックな発言をするのは、一見擁護に見えても、それもまた"Othering"(その他として扱う)ことの現れであり、不適切です。
(とくに最初のツイート、「特に日焼けがあるか分かりませんが目立たないからとか」はシンプルにダメですね)
ここで問われているのは「美しさ」ではないのです。
例えば「美」の業界の頂点ともいえるであろうモデル業界。ここでも黒人の方々は差別に遭っています。白人のモデルほどキャスティングされない。されたとしてもライトスキンなモデルしか採用されない。これは彼女たちが「美しくない」から起きる現象なのではなく、長年築き上げられたヨーロッパ中心主義的な「美の基準」があるからで、これは人種差別に基づきます。
今回のツイートを含めて、黒人の方々が経験している差別に言及せずに「黒人の人ってかっこいいよね!!」などとコメントするのは、都合が良いフェチズムでしかないのです。
韓国に対する差別問題を全く認識せずにKPopなどの韓国ポップカルチャーを消費するのと同じ構造です。
「心は日本人」
アカツキジャパンの大切なメンバーですし、日本人として誇りに思ってますよ
ミックスルーツ当事者であれば、「心は日本人」というフレーズを何度も聞いたことがあると思います。私自身も、過剰適応してしまっていた時はよく言っていましたし、言われていました。
「日本人」であろうとなかろうと、人種差別は許されない。
これが根底にあるべき物差しなのに、「日本人」という部分を強調されるのは、そうでない人たちは差別を受けても良い、ということになってしまいます。
相手のアイデンティティを引っ張り出さずとも、外付けせずとも、差別に反対することはできます。
相手を訴えれば?
私もこれまで、何か問題を指摘した際に何度も言われてきた言葉「訴えましょう!」
これもまた、脱力させられる反応の一つです。
日本で訴訟を起こす、それもツイッターの情報開示請求から始める訴訟は、とてつもなく時間と労力とお金がかかります。それを簡単に、手伝うわけもなく「訴えましょう!」と言うのは、本当に不毛です。実際、そうしたければ専門家に相談するわけで、「裁判を起こすべきか否か」について悩んでいるのではない人に対して「訴訟を起こすべき」というのはマンスプでしかありません。
マンスプレイニング(通称マンスプ)とは:男性(マジョリティ)が女性(マイノリティ)に対して、「知らないであろう」と相手を見下しながら、不必要なアドバイスや解説をすること。
ツイートの趣旨
約1年ほど前、同じバスケットボール選手である八村 阿蓮さんが以下のツイートをしています。内容はほとんど同じものですね。
彼がこのDMを公開した理由は「今一度人種差別の問題について関心を持っていただきたい」ためだと書かれています。きっとオコエ選手も同じ気持ちだったのではないかと思います。
何も変わらない日本の差別の状況。それに対してなんとも言えない無力感を感じる。何かできないものかと、状況を明るみに出そうとする。
それが趣旨なのだとしたら、上記のリプライがどれだけ的外れで、むしろ差別的・後進的なのかがよりわかるかと思います。
じゃあどうすればいいんだよ!
そんな声が聞こえてきそうですね。
「善意で言ったのになんだその態度は!」と開き直りトーンポリシングする人もいるでしょう。でももしそうじゃなく、本当にどうしたいのかが知りたいと思ってる人がいるという希望的観測をもとに、私からいくつか提案させてください。
ちゃんと怒る
私個人の経験をもとに話させていただきますと、「一緒に怒ってくれる」ことほど嬉しいものはありませんでした。今回のオコエ選手のツイートには「悲しいですね😢」というようなコメントが散見されましたが、私は悲しんでいるのではなく怒っているんだ!という点を強調したいです。
悲しいというのは、ただ現状を見てそれを放置するかとように私は感じます。
被害は認知するも、それをどうこうするということはない。どこか人ごとな感じ。
悲しいね、と言われるくらいなら、一緒に怒ってくれる方が100倍嬉しいです。
知る
そして、最も重要といっても過言でないのが「知る」ことです。
そもそもこういった的が外れた善意を向けることは、それを知ることで予防できます。
日本における差別問題をまずは知ること。その機会を今回オコエ選手にもらったと思って。
そしてはっきりと、「日本には人種差別が存在する」「日本には黒人差別が存在する」と認識し、DMを送った個人・送られた個人という個々人間の問題ではなく社会問題として向き合いましょう。
→日本の人種差別問題、「Black Lives Matter」で浮き彫りに
→「だって黒人でしょ」人種差別的な職務質問の調査、329人が訴え【レイシャル・プロファイリング】
→2021年になっても定期的に出てくるブラックフェイス。人種差別への理解や認識が著しく低い日本人像を浮き彫りに
繋がる
こういった問題に目が向けられないのは、日本の人種差別問題(今回は特に黒人差別)を自分には関係ない、遠いところで起きていることだと勘違いしている方が多いのも一つの原因だと思います。
重要なのは、日本には実際当事者がたくさんいると知ること。
そのために、SNSを活用してみてください。
ブラックアイデンティティを持つアカウントをフォローしてみる。差別問題に取り組んでいる人をフォローしてみる。ニュースレターに登録してみる。当事者のアーティストの作品を楽しんでみる。方法は様々です。
彼らの存在を自分の中で可視化することによって、より現実的に問題をみることができるでしょう。
行動する
問題を知り、当事者と繋がり、差別に怒った。その先にあるのが行動です。
最も簡単だけれど、とっても力がある行動が、周りの差別的な言動を無視せずに指摘することです。日本では、よーく耳を傾けると差別的な言動が蔓延っています。それを無視せずに、ちゃんと指摘する。それが無理でも、決して愛想笑いしない。
差別が許されないんだという「雰囲気」を作り出していくのはとても有効な手段です。
もしそれ以上の行動ができそうなら、デモに参加してみる。
問題を指摘する記事をシェアしてみる。
そこまでの行動が可能になったら、私のアドバイスはもう不要になっているでしょう。
最後に
最後まで読んでいただきありがとうございます。
オコエ選手に送られたDMは許されるものではなく、日本に蔓延る差別をよく表していると思います。彼女のようにブラックルーツを持つ当事者からしたら、こういった扱いは日常茶飯事で、緊急な対処が必要とされている中、日本ではまだまだ差別が存在することすら認識されていないという状態です。
当事者が声を上げるという機会は、とても労力を要するとともに、勇気が必要なことです。
せっかく彼女が指摘してくれたこの機会。オコエ選手の声を消し去る・矮小化するリアクションではなく、どうしたらその声を増幅することができるか、それを考えてみて欲しいです。
その視点が持てれば、「気にしないで!」や「悲しいね😢」という声がけがどれだけ当事者にとってもどかしく腹立たしいかが想像できるかと思います。
変わらなければいけないのはオコエ選手ではなく、あなたを含む日本社会だということを忘れないでください。
※ ヘッダーの写真はAddidas UKより。
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